史記年表 |
時代 |
紀元前 |
事項 |
神話 |
2550 |
黄帝、顓頊、嚳、堯、舜と呼ばれる五帝が支配した伝説の時代(~前2140年) |
夏 |
2144 |
禹、治水に成功し、天子の位につく 夏、始まる(木徳・青・東) |
殷 |
1711 |
湯、諸侯を率いて夏の桀王を殺し、天子の位につく 殷、始まる(金徳・白・西) |
1071 |
紂王、妲己を寵愛する |
1070 |
伯夷・叔斉、このころ周に往く |
1068 |
西伯昌(周の文王)、羑里に幽閉される |
1056 |
周の文王没 |
1047 |
比干殺され、箕子捕らわれ、微子殷を去る |
周 |
1046 |
周の武王、太公望・周公旦・召公奭らと殷を討つ 紂王自殺 周(西周)、始まる(火徳・赤・南) |
1045 |
(~1006年)魯、燕、衛、晋、曹、蔡、呉、陳、宋、斉、楚の諸侯、成立 |
1043 |
武王没 成王即位し、周公旦が摂政となる |
|
周公旦を疑い、紂王の子武庚と、周公の兄弟 菅叔鮮・蔡叔度が反乱を起こす(三監の乱) |
841 |
『史記』十二諸侯年表、この年より始まる |
779 |
幽王、褒姒を娶り、政事乱れる |
771 |
幽王、犬戎に殺される 諸侯、平王を擁立 |
東
周 |
770 |
平王、雒邑(洛陽)に遷都 東周、始まる(~前256年) 秦、諸侯に列せられる |
|
このころより、諸侯間及び諸侯国内の抗争しだいに激化 |
東
周
・
春
秋
時
代
|
772 |
魯国編年史『春秋』の記載始まる 春秋時代始まる(~前481年) 鄭の荘公、共叔段の乱を平定 |
719 |
衛の州吁、桓公を弑す 衛人、州吁を濮に殺す |
717 |
鄭の荘公、陳を破る |
714 |
鄭、大いに北戎を破る |
712 |
鄭の荘公、許に入り、宋を破る |
707 |
周の桓王、鄭を討ち大敗 楚の熊通、王号を冒し、武王と称す(前704年説あり) |
694 |
斉の襄公、魯の桓公を殺す |
686 |
公孫無知、斉の襄公を弑す 管仲、公子糾とともに魯に奔る |
685 |
斉の雍廩、公孫無知を殺し公子小白(桓公)を立てる 管仲を宰相に迎える |
681 |
魯の曹沫、斉の桓公を脅して失地を回復する |
679 |
斉の桓公、斉・宋・陳・衛・鄭の諸侯と甄で会盟し、覇者を称す |
667 |
斉の桓公、周王より伯(覇者)を賜る |
666 |
晋の驪姫、その子奚斉を立てんとし、公子申生・重耳・夷吾を逐う |
660 |
魯の慶父、湣公を弑す 季友、釐公を擁立して慶父を殺す これより魯の三桓氏興る |
655 |
晋の献公、太子申生を殺す 公子重耳(のちの文公)、狄へ逃げる |
651 |
斉の桓公、諸侯を葵丘に会し、桓公の覇業成る |
645 |
晋の繆公、夷吾を帰国させる(晋の恵公) 斉の宰相管仲没 |
643 |
斉の桓公没 |
639 |
宋の襄公、覇者たらんとして諸侯を会するも楚に捕らわれのち許される |
638 |
宋の襄公、楚と泓水に戦って敗れ(宋襄の仁)、翌年死す |
636 |
晋の公子重耳、亡命19年ののち即位(文公) |
632 |
晋の文公、楚を城濮に破り(春秋五大戦の一)、周王を迎え、践土に会盟して覇者となる |
628 |
晋の文公没 |
627 |
晋の襄公、秦を殽に破る(春秋五大戦の二) |
624 |
秦の繆公(穆公)、西戎に覇をとなえる |
621 |
秦の繆公没 |
618 |
楚、鄭・陳を討ち、和解す |
617 |
楚、宋を討たんとし、和議なる |
615 |
晋、秦を河曲に破る |
608 |
晋、陳・宋を救って鄭を討つ |
607 |
晋の趙盾、霊公を弑す |
606 |
楚の荘王、陸渾の戎を討ち、周の大夫 王孫満に「鼎の軽重」を問う |
600 |
このころ 老子生まれる(伝説) |
599 |
陳の大夫 夏徴舒、霊公を弑す |
598 |
楚の荘王、陳を討って夏徴舒を殺し、夏姫を楚につれもどす |
597 |
楚の荘王、晋を邲に破り、覇者となる(春秋五大戦の三) |
591 |
楚の荘王没 |
589 |
晋、魯・衛・曹を率いて、斉を鞍に破る(春秋五大戦の四) |
588 |
晋、六軍を作る |
579 |
宋の華元の斡旋で晋・楚の和平なる(第一次和平) |
575 |
晋、楚・鄭を鄢陵に破る(春秋五大戦の五) |
551 |
孔子(孔丘)、魯に生まれる(公羊伝・穀梁伝では前552年) |
546 |
宋の向戌の提唱で、晋・楚・秦以下13ヵ国間に和平なる(第二次和平) 以後、40年間、休戦 |
542 |
このころ 子路(仲由)生まれる |
537 |
魯の三桓氏、国軍を三分して私軍とす |
536 |
鄭の宰相 子産、中国最初の成文法「刑書」を鼎に鋳る |
535 |
このころ 孫子(孫武)生まれる |
522 |
楚の平王、伍奢とその子伍尚を殺す 伍尚の弟 伍員(伍子胥)、呉に奔る |
521 |
このころ 顔回(顔淵)生まれる |
520 |
このころ 子貢(端木賜)生まれる |
517 |
魯の昭公、三桓氏に攻められ、斉に亡命 孔子、斉に往く |
515 |
呉の公子光(闔廬)、王僚を弑して立つ |
511 |
呉、伍子胥の計を用いて楚を侵す |
506 |
呉、柏挙に楚を破り、呉軍、楚都郢にはいる 斉の晏嬰没 |
505 |
越、呉を侵す 楚の申包胥、秦軍の救援を得て楚を救う 呉、敗退す |
|
魯、季桓氏の家臣陽虎の専制始まる このころ、陽虎、孔子を招聘 |
|
このころ 曾子(曾参)生まれる |
500 |
魯、斉と夾谷に会盟し、孔子随行す |
498 |
孔子、魯を去る(14年後、帰国) |
496 |
呉王闔廬(闔閭)、越王句践(勾践)と戦い敗死 |
494 |
呉王夫差、句践を会稽に破る(会稽の恥) |
489 |
このころ 顔回没 |
484 |
呉王夫差、斉を艾陵に破る 伍子胥、夫差より死を賜り自殺 |
|
孔子、諸国遊歴の末、魯に帰国 |
483 |
このころ 子思(孔伋)生まれる |
482 |
呉王夫差、黄池で覇権を争う間に、越王句践が呉に侵寇 呉、大敗す |
481 |
魯、麒麟を捕獲 孔子『春秋』を整理 春秋時代終わる |
東 周 ・ 春
秋
・
戦
国 |
480 |
衛の蒯聵、出公を追放し、即位(荘公) 孔子の弟子子路、敗死す |
479 |
孔子死す 享年73 |
478 |
越王句践、呉を笠沢に破る 楚、陳を滅ぼす |
473 |
越王句践、呉を滅ぼして覇者となる |
468 |
このころ 墨子(墨翟)生まれる |
465 |
越王句践没 |
453 |
韓・魏・趙の三氏、智伯を滅ぼし、地を三分す これより三晋興る 戦国時代の起点(1)(~前221年) |
447 |
楚の恵王、蔡を滅ぼす |
435 |
このころ 曾子没 |
424 |
魏の文侯、即位 これより魏、盛んとなる |
東
周
・
戦
国
時
代
|
403 |
周の威烈王、韓・魏・趙を諸侯に列す 戦国時代の起点(2)(~前221年) |
402 |
このころ 子思没 |
397 |
聶政、韓の宰相侠累を刺殺 |
390 |
このころ、墨子、魯の陽文君に説く |
387 |
魏の文侯没し、将軍呉起、楚に奔って相となる |
386 |
斉の田和、諸侯に列せられ、田斉始まる |
384 |
秦、殉死を禁止 |
381 |
楚の悼王没し、呉起、楚の貴族に殺される |
376 |
三晋、晋君静公を廃し、地を分割 晋滅ぶ |
|
このころ 墨子没 |
375 |
韓、鄭を滅ぼし、新鄭に遷都 |
372 |
このころ 孟子(孟軻)生まれる |
369 |
このころ 荘子(荘周)生まれる |
367 |
趙・韓、周を攻略、これより 西周・東周に分裂 |
359 |
秦の孝公、商鞅を左庶長に任じ、変法を行う(『史記』六国年表では前356年) |
357 |
このころ斉の稷下の学、起こる |
351 |
申不害、韓の宰相となる |
350 |
秦、咸陽に遷都、郡県制を布き、農地改革を断行し、度量衡を定める |
341 |
斉の将軍田忌・田嬰、孫臏の計により魏軍を馬陵に破る 魏の将軍龐涓自殺、公子申、虜となる |
340 |
秦の商鞅、魏軍を破り、商に封じられる |
338 |
秦の孝公没し、商鞅、車裂きの刑に処される |
334 |
魏の恵王、恵施の策を用いて斉の威王と徐州に会し、ともに王を称す 楚、越を滅ぼす |
333 |
このころ蘇秦の合従策成り、蘇秦六国の宰相となる |
332 |
このころ蘇秦、趙を去り、合従崩れる |
328 |
張儀、秦の相となる |
325 |
秦の恵文君、王を称す |
323 |
韓・燕、それぞれ王を称す |
322 |
張儀、秦の相を免ぜられ、魏の宰相となる |
318 |
魏・趙・韓・楚・燕の五ヵ国、合従して秦を討ち、敗北 |
316 |
秦、蜀を滅ぼす |
313 |
張儀、楚の相となる |
|
このころ 荀子(荀況)生まれる |
312 |
楚の懐王、秦を討って大敗し、漢中を取られる 斬首八万 |
309 |
秦、初めて丞相職を設け、樗里疾・甘茂を右丞相、左丞相に命ず 張儀没 |
307 |
趙の武霊王、「胡服騎射」を実施 |
299 |
秦、楚の懐王を捕う 秦の昭王、斉の孟嘗君を相に招く |
298 |
孟嘗君、秦より斉に逃げ帰り、相となる 趙の恵文王、公孫勝を平原君に封じる |
296 |
斉・韓・魏の三国、秦の函谷関に攻め入り、秦、和を求む 趙、中山を滅ぼす |
295 |
趙の公子成・李兌、主父(武霊王)を包囲し、主父餓死す |
293 |
秦将白起、韓・魏の連合軍を伊闕に破り、斬首二十四万 |
289 |
このころ 孟子没 |
288 |
秦の昭王、西帝と称し、斉の湣王、東帝と称するも、二ヵ月後、王号にもどす |
286 |
斉、宋を滅ぼす |
|
このころ 荘子没 |
284 |
燕・秦・趙・韓・魏の五国、斉を討つ 燕将楽毅、斉都臨淄に攻め入る 稷下の学者離散 |
280 |
秦将白起、趙を討ち、斬首三万 |
279 |
秦の昭王、趙の恵文王と澠池に会す |
|
燕の昭王没し、楽毅、趙に奔る 斉の田単、失地七十数城を一挙に回復 孟嘗君没 |
|
このころ稷下の学再興し、荀子、祭酒となる |
278 |
秦将白起、楚を討ち、楚都郢を抜く 楚、陳に遷都 |
277 |
白起、武安君に封ぜられる |
276 |
魏の公子無忌、信陵君に封ぜられる |
270 |
趙の将軍趙奢、秦軍を閼与に迎えて大破す |
266 |
秦の昭王、相国魏冉を罷免し、范雎を丞相として応侯に封ずる |
262 |
楚の考烈王即位し、黄歇を春申君に封ずる |
261 |
趙・秦の両軍、長平に戦う |
260 |
趙の孝成王、廉頗を罷免し趙括を起用 秦将白起、趙軍を長平に大破し、降卒四十万余を穴埋めにす |
259 |
嬴政(始皇帝)生まれる |
257 |
秦の昭王、白起を殺す 秦、趙の都邯鄲を包囲 魏の信陵君・楚の春申君、趙を救う |
256 |
秦、西周を滅ぼす 周の赧王没して、事実上、周、滅ぶ |
戦
国
時
代 |
|
劉邦生まれる |
255 |
秦の昭王、范雎を罷免す |
254 |
魏の安釐王、国を秦に委ねる |
249 |
秦の昭王、呂不韋を相国とする 楚、魯を滅ぼす 秦、東周を滅ぼし、周、完全に滅ぶ |
247 |
秦、魏を討つ 魏の信陵君、五ヵ国の軍を率いてこれを破る |
246 |
秦王政(始皇帝)即位 呂不韋、幼君政にかわって執権 |
243 |
信陵君没 |
241 |
趙・楚・魏・燕・韓の五ヵ国、合従して秦を攻め、函谷関に敗れる |
238 |
秦の長信侯嫪毐、反乱を企てて失敗 楚の李園、春申君を殺す |
|
このころ 荀子没 |
237 |
呂不韋、相国を免じられ、李斯、用いられる |
235 |
呂不韋自殺 |
233 |
韓、韓非子(韓非)を使者として秦に派遣 韓非、獄中で毒をあおぐ |
232 |
項羽生まれる |
230 |
秦、韓を滅ぼす |
228 |
秦、趙を滅ぼす 趙の公子嘉、代に逃れ、自ら立って代王となる |
227 |
燕の太子丹、荊軻をして秦王を刺殺せんとして失敗 秦、燕を伐つ |
225 |
秦、魏を滅ぼす |
224 |
秦、二十万をもって楚を攻め、楚の将軍項燕を殺す |
223 |
秦、六十万をもって楚を攻め、楚、滅ぶ |
222 |
秦、燕を滅ぼす 秦、代を滅ぼし、趙、完全に滅ぶ |
秦 |
221 |
秦、斉を滅ぼし、秦の天下統一成る 秦王政、始皇帝と称す 秦、始まる(水徳・黒・北) |
|
李斯を丞相とし、郡県制を実施 十月を歳首とする |
220 |
始皇帝、第一回巡幸 |
219 |
始皇帝、第二回巡幸 泰山に封禅の儀式を行う |
218 |
始皇帝、第三回巡幸 張良、博浪沙で始皇帝を襲撃、失敗に終わる |
215 |
始皇帝、第四回巡幸 方士盧生をして仙薬・仙人を求めしむ 将軍蒙恬、匈奴を伐つ |
214 |
万里の長城の建設始まる |
213 |
禁書令出る(医薬・卜筮・農業関係の書は除外 いわゆる「焚書」) |
212 |
阿房宮及び驪山の陵墓の造営始まる 儒生四百六十余人を穴埋めにする(いわゆる「坑儒」) |
210 |
始皇帝、第五回巡幸中、沙丘で死去 末子胡亥(二世皇帝)即位 始皇帝を驪山に葬る |
209 |
陳勝・呉広、大沢郷に挙兵 劉邦、沛に挙兵 項梁・項羽、呉に挙兵 田儋、斉に挙兵 |
208 |
陳勝・呉広、敗死 項梁、定陶に敗死 |
207 |
項羽、鉅鹿に秦軍を破り、諸侯を掌握 |
|
李斯、趙高の讒言により刑死 趙高、二世皇帝を弑殺、子嬰を立てる 秦王子嬰、趙高を殺す |
206 |
秦王子嬰、劉邦に降り、秦、滅ぶ |
楚
・
漢 |
|
劉邦、法三章を約す |
|
項羽と劉邦、鴻門に会す |
|
項羽、咸陽に入り、子嬰を弑し、宮殿を焼く |
|
項羽、懐王を立てて義帝とし、劉邦以下十八人を諸侯王に封ずる |
|
項羽の論功行賞に不満の諸侯、反旗を挙げる 漢の高祖元年 |
205 |
劉邦、韓信の計をいれ、漢中から出て、三秦を平定 楚・漢の戦い始まる 項羽、義帝を弑す |
|
劉邦、諸侯の軍五十六万を率いて楚都彭城を攻め、大敗す |
204 |
韓信、趙を破る 項羽、滎陽・成皋を抜く 劉邦、関内に逃れる |
203 |
韓信、斉を破る 項羽と劉邦、広武で対戦 項羽と劉邦、天下を鴻溝で二分し、東を楚、西を漢とする |
202 |
劉邦、協約を破って項羽を攻め、垓下に包囲 項羽、烏江で自刎す |
漢 |
|
漢の天下統一 劉邦、皇帝の位(高祖)につく 漢、始まる(土徳・黄・中央) |
201 |
高祖、楚王韓信を淮陰侯に降格 叔孫通、漢の朝儀を制定 |
200 |
高祖、自ら韓王信を伐ち、平城で匈奴の軍に七日間包囲される |
196 |
淮陰侯韓信、誅殺される 梁王彭越、反逆のかどで誅殺される |
195 |
黥布、叛乱し敗死 高祖劉邦没 恵帝立つ |
194 |
呂后、趙王如意とその母戚夫人を殺す |
193 |
蕭何没 |
191 |
秦の「挟書律」を撤廃 |
190 |
曹参没 |
189 |
樊噲没 |
188 |
恵帝没 呂后の専権始まる |
187 |
呂氏一族、王に封ぜられる |
186 |
張良没 |
180 |
呂后没 丞相陳平、大尉周勃ら呂氏一族を討ち、文帝を立てる |
178 |
陳平没 |
174 |
淮南王長、謀反し蜀に遷されて死亡 |
157 |
文帝没 景帝立つ |
155 |
晁錯、御史大夫に昇る 中央集権策として諸侯の領地削減を進言 |
154 |
呉楚七国の乱起こり、周亜夫、これを平定 晁錯、刑死 |
145 |
司馬遷、生まれる(一説には前155年) |
141 |
景帝没 武帝立つ |
140 |
建元元年、建元は最初の年号 武帝、賢良方正・直言極諌の士を挙げ、董仲舒を得る |
138 |
このころ 張騫を大月氏に派遣する |
136 |
五経博士を置く(儒学の国教化) |
134 |
董仲舒の進言により、郡国から孝廉の士ひとりを選挙 |
133 |
武帝、方士を遣わし、神仙を求む 韓安国を護軍将軍とし、匈奴を誘殺せんとして失敗 |
130 |
張湯ら、律令を定め、「見知の法」を作る 武帝、陳皇后を廃す |
129 |
匈奴、上谷に入寇、将軍衛青・李広らこれを討つ |
128 |
李広、右北平太守となる |
126 |
張騫、西域より帰る |
124 |
公孫弘、丞相となる 博士に弟子五十人を置く 汲黯、右内史となる |
122 |
張騫を再び西域に派遣(一説に前119年) 淮南王安・衛山王賜、謀反を企てて誅殺される |
121 |
将軍霍去病、匈奴を討ち、祁連山にいたる 匈奴渾邪王、投降す |
115 |
桑弘羊、大農丞となる 均輸の官を置き、物価を統制 郡国の鋳銭を禁止 |
|
張騫、帰国し、西域と初めて通じる |
110 |
武帝、北巡し、泰山で封禅を行う 桑弘羊、平準法を施行し、物価の安定をはかる |
108 |
朝鮮を平定し、楽浪など四郡を置く |
104 |
建章宮を造営 太初暦を作成し、一月を歳首とする |
101 |
蘇武、匈奴に使いし、捕らえられる |
99 |
李広利、匈奴を討つ 別働隊の将李陵、破れて捕虜となる |
|
司馬遷、李陵を弁護したため、宮刑に処せられる |
96 |
司馬遷、大赦により出獄し、中書令となる |
92 |
巫蠱の事件起こる このころ『史記』完成 |
91 |
巫蠱事件により、戻太子の反乱事件起こる 衛皇后及び戻太子自殺 |
|
司馬遷の友人任安、連座して死刑の判決を受ける |
90 |
李広利、匈奴に降る |
87 |
武帝没 昭帝立つ |
86 |
司馬遷死す(異説あり) |
|
|
|