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「権利のための闘争」
イェーリング |
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権利=法(レヒト)の目標は平和であり、それに達する手段は闘争である。
権利=法が不法からの侵害に備えなければならないかぎり、闘争が不要になることはない。
法の生命は闘争である。世界中の一切の法は闘い取られたものであり、すべての重要な法規はまず、
これを否定する者の手から奪い取られねばならなかった。
国民の権利であれ個人の権利であれ、およそ一切の権利の前提は、いつなんどきでもそれを主張する
用意があるということである。
権利=法は単なる思想ではなく、生きた力である。
「権利のための闘争は、権利者の自分自身に対する義務である」
人間にとっては、精神的生存の条件の一つが権利の主張なのである。
権利と主張がなければ、人間は家畜なみになってしまう。
したがって、権利の主張は精神的自己保存の義務であり、権利の完全な放棄は精神的な自殺である。
これらの生存条件は、法による抽象的な保証だけでは不十分であって、権利主体による具体的な主張を必要とする。
自分の権利を主張する者は、自分の権利という狭い枠内で法そのものを防衛することになる。
したがって、彼の行動は彼一身をはるかに超えた利益と効果を持つ。
権利者は、自分の利益を通して同時に法律を、法律を通して同時に社会の不可欠の秩序を防衛するのだということが事実とすれば、この防衛が社会に対する義務として権利者に義務づけられていることを否定する者がいるだろうか。
※裁判やるぞ!と決めたときに読み返したら熱かった。興味を持たれた方は、是非読んでみてください。
イェーリングがここで説く闘争とは、まさに命をかけた闘いのことですからテンションが違います。
>およそ一切の権利の前提は、いつなんどきでもそれを主張する用意があるということである。
ホント、これは真実ですよ。 主張しないのなら、自己の権利については深く考えないことです。
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